2010年12月22日水曜日

寄付税制って「アート」のためになるの?

寄付税制に関する新聞記事を発端に、
「アート」と寄付税制の関係についての議論が
MLで盛り上がりました。


◆PH氏のコメント(抜粋)
ここで「共同体」を考えさせられるニュースが出てきたので
ご紹介しておきます。

「新しい公共」関連で、NPOをはじめとした寄付税制の
いじくりが検討されているかと思いますが、
ジャーン。なんと国本体も寄付を受け付け始めるとか。
個人的には、お前がしゃしゃり出るなという感じですが。

日本経済新聞電子版 2010/8/7 13:31
「もっと国に寄付を」 政府、歳入増へ自粛転換検討

◆ナカムラさんのコメント(抜粋)
「個人的には、お前がしゃしゃり出るなという感じですが。」に
思わず笑ってしまいました。

でも面白い記事ですよね。

・国の借金返済に限定する案
はまだわかるし、

個人的にはそれでお金持ちが赤字国債から日本を救ってくれるなら
それはそれで良い話だ、という気もします。

・各省庁による特定の政策に充てる名目で寄付を募る案
となると、

寄付によって政策を選ぶことが事実上可能になるわけですよね。
これはかなり面白い話になってくるのではないでしょうか。

◆JOさんのコメント(抜粋)

900兆円もある借金、どんな太っ腹なお金持ちが出してくれても焼け石に水ですね。
これまでのバラマキだ、ハコモノだの失策にお金を出してくれる人がいるとも思えないです。
特定の政策に充てるというのは面白いですね。

ちょっと前に定額給付金というバラマキがありましたが、あれは受け取りに行かないと国に返還されてしまうので、受け取りを拒否する人は生活や就労が困難な人々への支援のために横浜市に寄付してください、って集まったお金が約1億円。横浜市によると財政難で歳出削減した分がちょうどこれで復活できたそうです。ちなみに単純に人口比で国レベルを想像してみると35億円。やっぱり借金を減らすというよりは特定目的というのが現実的ですね。

子ども手当が始まるときに、なぜ一律支給で、高額所得者世帯には必要ないのじゃないかという質問に、文科省の副大臣はその分を寄付してほしいからって答えてましたけど、聞こえてないですよね~。

◆ヒデ高橋のコメント(抜粋)
「寄付」の問題っていうのは、
ちょっと別の脈絡でずっと気になっていることがあるんで、
横車風ですが・・・からませて下さい

それは…
Q: なぜ、アート関連の人(特に演劇の人)は、「ヨーロッパでは」という
   話ばかりするのか?

…ということなんですね。
「寄付」といえば、アメリカだと思うんです。
実際、なんだかんだで10年近くアメリカで税金払ってきた高橋も、
毎年小切手切ってかなりいろんなところに寄付させてもらいました。
優遇税制はもちろん、寄付集めのノウハウもイロイロなものがあると思います。

ところが、
「アメリカの事例に学ぼう!」みたいなアート関連の人に
出会ったことがないんですね。
みなさん、「フランスでは」とか、「ドイツでは」みたいな発言が多い。
(たとえば、先日、静岡SPACの宮城芸術総監督は
1時間半のレクチャーの中で、20回以上ヨーロッパの事例に言及されましたが、
アメリカへの言及はゼロでした)

で、高橋の偏見で推測すると・・・
「ファンド・レイジングなんかやりたくない」
もっと、ハッキリいうと
「金持ちにゴマするのがいや」
いや、
「金持ちの存在自体を認めたくない」
・・・という感じのことがあるんじゃないかなという気がするんです。

でも、
金持ちたちに1億円を(気持ちよく)寄付させる方法と戦略が存在してこそ、
一般市民の1万円の(善意の)寄付が生きてくる…てことはないですかね?

ちょっと、偏った情報で、偉そうな発言になってしまいましたが、
「寄付」が「新しい公共」の大きな柱であることは、
前・鳩山政権でも確認されていることのはずなのに、
なんか、このあたりの議論が、水面下に埋もれているきがするんで、
この合宿やゼミの中でも、皆さんと意見交換できれば、ありがたいです。

◆JOさんのコメント(抜粋)
ヒデさんのQ は別トピックにもありましたね。
わたしもその答えを聞きたい一人ですが、ご意見がなかったように思うので、わたしの想像をつけ加えておきます。

寄付と言えばアメリカなのに、アートに関してなぜアメリカの事例が引き合いにだされないか。
アメリカでは税金は最低限の行政コストをまかなうため、その他の期待するサービスは個人が寄付することで成り立っています。

日本は今まですべてが行政サービスだのみ。ヨーロッパは北欧を別としてその中間だから参考にするのではないでしょうか。

それと、ヒデさんのおっしゃるように、お金持ちにゴマをするのがいや、とかお金持ちの存在自体を認めたくない、も大きいと思います。

イギリスでもお金持ちへの献金活動は活発だと思いますが、美術館のキュレーターがお金持ちとそのプライベートジェットでバーゼルへ乗り付けて買ってもらった作品が美術館に寄託されるアメリカへの違和感は強いと思います。


お役所へおねだりすることになんとも感じなくなってしまっていても、個人にに対してセールスマンのようにアタマを下げたくないみたいな。

お金がほしい、と言いながらお金やお金持ちを軽蔑しているところがあるかもしれません。芸術と較べるわけで。

本当の芸術家はそれでもいいかもしれませんが、運営の部分までもその感覚から抜け出せないのでは?

古今東西芸術はお金持ちの経済的援助のもとで発展したわけですが(もちろん現在はそれだけではないですが)、どこかで線路が枝分かれしちゃったみたいです。

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