2011年4月12日火曜日

「所有ゼミ」を終えての所感:いちむらみさこ氏のワークショップ(小林)

所有ゼミで特に印象に残っているのは合宿、中でもいちむらみさこさんのワークショップです。いちむらさんはホームレス生活をしつつアーティストとしての活動をされているとのことで、稀有な存在であり、とても楽しみにしてワークショップに参加しました。

 ワークショップでは初めに街中でダンボールを探し、それで実際に公園で寝転がるということをしました。ダンボール探しの時に、「野菜のダンボールは虫がついているからやめたほうがいい」などという具体的なアドバイスを頂きました。とても新鮮な感覚でした。

 公園では蚊が多く、肌が出ているところはもちろん、服の上からも刺されてしまいました。しかし、いちむらさんは蚊に刺されていませんでした。ホームレス生活を続けていると、蚊に刺されなくなるのだそうです。これにも驚きました。

  公園の一角で寝転がってみたのですが、やはりどこか落ち着きませんでした。公共空間で寝転がる、というのはどこか疚しいものを感じてしまいます。とはい え、「公共」空間と「私的」空間などは所詮人間が区分けした概念であり、明確な境界など本来はないはずです。私が私の身体でその場所を占拠している、とい う事実は、疚しさを感じる公共の空間だからこそよりダイレクトに感じることができました。

 野宿ということでは、私は学生時代に日本各地をヒッチハイクで回った時に何度も経験しました。真夏と真冬の両方で経験しています。しかしながら、旅行者としての野宿とホームレスのそれとは大きく異なると感じました。

  その大きな要因の一つはホームレスの野宿が常に「暴力」にさらされているからだと思います。これはいちむらさんから直接伺ったことですが、ホームレスは理 由のない「暴力」の対象となっているそうです。理由もなく、蹴られたり、殴られたりするそうです。しかし、ホームレスの側も「暴力」に慣れてしまう部分が あって、なされるがまま抵抗をしなくなってしまう現実があると伺いました。暴力を受けたら、その相手に対して、「やめろ」と言葉できちんと自分の意思を伝 えることをいちむらさんは実践されているそうです。

  ホームレスはまた「排除」される対象ともなっています。住民の目、行政の権力によって「排除」へと追い込まれます。徹底した社会的弱者です。ゆえに、自ら 積極的に社会に関わらないようにしていると伺いました。ホームレス側でも社会との棲み分けを意識的に行なっているというのは意外な事実でした。

  所有ゼミで「所有」を考える上で、「持たざる者」としてのホームレスの存在を考えることは視野を広げるのに一役買いました。しかし、このゼミのテーマであ る「所有からアートを考える」ということについては、「所有」の概念の幅の広さに足をすくわれ、結局、考えを深められずにいます。これらもしぶとく考え続 けていきたいと思います。

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